このページには、りあが20代の頃に書いたストーリーを置いています。
りあは洋楽が好きだったので、洋楽の曲のタイトルになぞらえて
ちょっとしたストーリーを作ってみました。
曲のイメージとは違っていると思いますが、どうぞごゆっくりお楽しみください。
私の好きな某作家の影響が多々ある文章ですけれど・・・(^^)。

Open Sesame
プロローグ


目の前に、扉。
この向こう側にどんな風景が広がっているのか、誰も知らない。
知ることができるのは、この扉を開ける勇気を持っている人だけ。
断崖絶壁、それとも紺碧の海?はたまた緑燃える草原?空想は果てしなく頭の中を駆け巡る。そしてそれはいつまでも想像の域を越えない。
螺旋階段が続く。上を見る。天をも突き破るように伸びている階段。下を見る。地底へも導いてくれる程の階段。
どちらへ行こうか?
エレベーターはありませんか?エスカレーターでも構いませんけど。
文明の利器を探すところなんざ、やっぱりあたしも現代人。疲れることはしたくないのね、きっと。らくに、らくぅに目的達成しようとしてる。でも。よく考えたら、あたしの目的って何?
上でもしたでもいいんだけれど、そこへ行ってどうしようっていうの?今目の前にあるような扉はきっと上にも下にも、それこそ無数にあるに違いないのに。この扉と他の扉、どちらが今のあたしに最高のシチュエイションを提供してくれるのか、全然判らないのに。
蓋を開けてみなけりゃ、いや、扉を開けてみなけりゃ話は始まんない。
――ということで、とりあえずこの扉を開けてみよう。あたしの好きな海の風景だと気分は最高!なんだけど。

Act.1 川の流れに


ダイヤの輝き?
扉を開けた瞬間にひらめいた言葉がそれだった。あたしの目に飛び込んできたのは水面(みなも)にはじける光の粒。それが銀の輝きを放っていたのだ。そして出てきた言葉が・・・。
ダイヤの輝き。
サラサラと音をたて、時にはしぶきをあげながら流れていく川。水は空気のように透明で、川底の丸い石がすっかり見える。小さな魚の群れが乱れることなく、流れに逆らうことなく川下を目指して泳いで行く。
川幅はそれほどでもない。自動車一台分くらいだ。もっとも、自動車が水の上を走れるんであれば、の話。
川の両岸には新緑の木々が陣取っている。互いの枝葉をからませ、ゆるいカーヴを描いていた。まるでアーチのように。あたしの足元には小さなピンク色の花と薄いブルーの花が咲いていて――ブルーの方はつゆくさかしら――綺麗なコントラストを作り出している。
川が誘(いざな)う。
不思議にこの川、ちっとも蛇行してないのだ。あくまでまっすぐ。あたした未だかつてこんなまっすぐな川なんて見たことがない。黄河とかメコン川みたいな、大きな川は別。あれは、ほとんど海みたいだから。だけど、これくらい川幅の狭い川で、こういうのは初めて。
まっすぐに流れるこの川の向こう側は、白く薄い霧に隠されていて、何処へ続いているのかここからでは判らない。
また、川が呼ぶ。
見えない果てにいる川の女神が呼んでいるのだろうか。
ぱしゃ。
後ろの方で水音がした。何だろ。あたしの他にお客がいるのかしら。ふと振り向くと、カヌーのようなボートが川上から流れてきていた。
(これだ!)
あたしは慌ててボートを止める。慌て過ぎてあたし、足をすべらせてしまった。
その結果。
ざぶっ。腰までつかる。
大丈夫。流れはほんとに緩やかで、水もそれほど冷たくない。これならあたしでもこのボート操って川下まで行けるかも。流れが緩やかなら、あたしのぎこちないオールさばきでもなんとか行けそうだし、水も冷たくないなら、万が一ボートがひっくりかえって川に投げ出されても、心臓麻痺だけは起こさずに済みそうだもの。
とにかく行ってみよう。
..... Let the river run!

Act.2 風に吹かれて


道標って、ないの?
これじゃ、何処に何があるのか、何処へ行けばいいのか判らないじゃない。○○まで何百メートル、くらいの簡単な表示すらないんだもの。さっきと比べると緑も少ないし、舗装されてない、細くてでこぼこの道が一本続いているだけ。タイヤの跡があるってことは車が通ってるってことだろうけど、ほとんどギリギリって感じかな。あたしだったら、絶対こんなとこ運転できない。
とりあえず道は一本だから、このまままっすぐ進んでみよう。分岐路にぶつかったら、その時考えればいい。
あたしの前を、小さな風が渦を巻いて進んでく。つむじ風、なのかな。木の葉も一緒に渦を巻くから、カサカサカサ、って微かな音が聞こえてくる。ひとつのつむじ風が消えるとまた別のヤツが生まれて、まるであたしを案内してくれてるみたい。
何処かで鳥の声がする。陽射しもまあまあ。空気はよどんでないし、絶好の散歩日和。こんなにのんびり歩くなんて、どれくらいぶりだろう。待ち合わせの約束をしてる訳じゃないし、時間を気にせずにいられるなんてほんとに久しぶりだ。自然と鼻歌まで出てしまう。今歌ってたのは・・・内緒。
燕が飛ぶ。空には飛行機雲。道の端の方では、忙しそうに蟻が列を作って行進してる。ひらひらと白い蝶が優雅なダンスを披露してくれ、時折吹く風は、木々を指揮して合唱を聴かせてくれる。
小さい頃はこんな風景、全然珍しくなかった。ごくごく身近に存在してた。はだしで駆け回り、どろんこ遊びで服を汚し、蝶を追いかけ、木に登り・・・。思い出した、昔のあたし。とんでもないほど元気で、とんでもないほど無謀で、とんでもないほど無邪気で、とんでもないほど楽天家(オプティミスト)。笑顔があたしのトレードマークだった。
そして、今。
適度に快活で、適度に常識知ってて、適度に世の中に染まってて、適度に厭世家(ペシミスト)。作り笑いを覚えてしまった。
あら、三叉路。
やっぱり今度も道標はなし。まったく、この界隈は不親切ね。この先で、もしもこの辺りを仕切ってるお偉いさんとかに出会ったら、しこたま文句言ってやる。立て札くらい立てろ!って。
ま、いいか。ここで怒っても仕方ないしな。とりあえず進路決めなきゃ。さて、どうする?
その時、少し強い風があたしの背中を押した。今まで吹いていた風は、所謂そよ風程度で・・・。髪を乱すほどの風が吹いたのは、この時が初めてだった。あたしはよろけて、右足を一歩踏み出していた。
その右足が指し示したのは、まっすぐに伸びる真ん中の道。
そうか。教えてくれたんだ、風が。
今度は柔らかな風があたしの頬をなでて行った。それは、さながら風の妖精達(シルフィード)が身にまとう、しなやかなドレスのようで・・・。
そうしてあたしはまた歩き出す。とある曲をパートナーにして。
..... The answer is blowin' in the wind.

Act.3 月との語らい


まんまる・・・とはいかない今夜の月。十三夜くらいかしらね。少し霧がかかっているから、金色の光はよく見えないけれど・・・。でも、まるで特大のスフレみたい。
優しいよね、月の色は。太陽を見てると元気は出るけど、こんなにリラックスはできない。でも、月を見てるとそれができる。もしかしたら、母親の腕の中と似ているのかもしれない。
その母親の腕の中で聞いた、月のうさぎの話。今はもう、どんなに小さな子供だって信じやしない、もちつきうさぎの話。でも、あたしは信じていた。月にはうさぎが住んでるんだって。一生懸命、ぺったん、ぺったん、もちつきやってるんだって。
――科学と幻想は相容れない。科学の進歩は「月の石」をもたらしたけど、「月のうさぎ」を殺してしまった。
お月さま。かぐや姫の時代はもう来ないの?日毎、その姿を変えていくあなたのことを、科学で説明するのは至極簡単。要するに、月が地球の周りを回っているが故に起こる現象だってことでしょ。つまり、太陽と地球の間に月がある場合、地球からは夜、月が見えないんで「新月」って呼ばれるし、逆に、太陽と月の間に地球があるが合いは「満月」って呼ばれる。判っちゃいるけど、やるせない現実。
そのうち、人の未来でさえも、科学で割り切ることができるようになるんだろうか。多分、あたしが生きてる間は無理だと思う。でも、いつかそんな時代が来るんなら、あたしは生まれ変わって来たくない。
幻想は香辛料(スパイス)。心を潤す大切な要素。
その香辛料(スパイス)の数が、どれだけ少なくなっていることか。
香辛料(スパイス)を不要だとする人間が、どれだけ増えていることか。
ねぇ、お月さま。あたしは科学を否定してる訳じゃないのよ。気象衛星が飛んでるおかげで、毎日、天気予報は聞けるし、交通網が発達してるおかげで、海外へもひとっとび。憧れのロンドンへだって行けちゃう!
でも、科学と幻想は共存できないんだろうな、って思うと、やっぱり切ない。
何か言ってよ、お月さま。
もし、何も言いたくないんなら――。せめて、その金色の光のゆりかごで、あたしを眠らせて。
「何してるの?」とでも言いた気に、白い仔猫がすり寄って来る。
――ううん、何でもないのよ。ただ、お月さまと話してただけ。おまえも、仲間に入る?
あたしはそっと仔猫を抱き上げた。「にゃあ」とひとこと鳴く彼女。そのままの状態で一人と一匹は、静かに月を見上げていた。
..... I was just talking to the moon.....

Act.4 港の灯


汽笛。おなかの奥深くにまでも響き渡るような、低くて、でも何故かしら暖かい音。港中に響かせて、今、一隻の船が旅立って行く。今夜は霧がうっすらと出ていて、周りのものすべてが幻想的に思えてくる。
あたしは先刻までコーヒーなんぞを飲んでいた。酒場ばかりが立ち並ぶこの港の一角に、一軒だけ、しかもおよそこの場に似つかわしくないような、パステル調の喫茶店があったのだ。女の子が好みそうな淡いピンク色のひさしだとか、真っ白い壁だとか、薄いブルーのブラインドだとか、そういう風体の店だった。
お酒を飲む気分じゃなかったので・・・とりあえずあたし、その店に入ってみることにした。いつもはアメリカンしか頼まないくせに、何故かちょっと気取ってみたくなったりして、普段はなかなか口にしない、ブルー・マウンテンを注文する。キリマンジャロに挑戦してみようかとも思ったけど、やめた。これにすると多分、いつもの二倍くらい砂糖を入れる破目になりそうだったから。
海の色と見紛う程の綺麗なコーヒー・カップが、揃いのソーサーと共に運ばれてきた。ガラスでできたシュガー・ポットを側に引き寄せる。この砂糖、可愛い。白砂糖に混じって、ピンクだの、ブルーだの、グリーンだのって色のついた砂糖が入ってる。小さい頃よく食べた、こんぺい糖を思い出させるなぁ・・・。
スプーン一杯砂糖を入れて、カチャカチャとかきまぜる。ミルクは入れない。スプーンをソーサーの上にのせると、両手でそっとカップを持ち上げる。指先から手首、腕を通って暖かさが伝わってくる。そして心臓まで到達したら、今度はハートの中身にまでしみ渡ってきた。カップから立ち上る白い湯気とコーヒーの香りとが、相乗効果を成しながら、あたしの疲れを癒してくれた。
あたしの席からは、灯台の灯が見えた。赤く点滅する光。点滅するって言っても、歩行者用信号みたいな忙(せわ)しさじゃない。見てるとなんとなく落ち着くと言うか。・・・そんな風に感じるのって、おかしい?
コーヒーを飲み終わったあたしは、支払いを済ませて店を出た。コーヒー一杯だけで一時間以上は居座ってたかな。誰かと待ち合わせをしてるじゃなし、本を読むじゃなし、ただぼーっと外、眺めてただけ。でも、ほんと、すごく居心地良かった。勿論、コーヒーもすごく美味しかった。口髭とあご髭、どちらもはやしたマスターは黒光りするほど日焼けした、ちょっと見は恐そうな感じの人。でも、よく見るとすごく優しい光を瞳の中に宿してて、あたしはなんとなく安心してしまっていた。だから、延々と居座っていられたんだと思う。お髭のマスターも、海の色のコーヒー・カップも、こんぺい糖のシュガー・ポットもみんなひっくるめて、あたし、「この店が好き」。
コーヒーはまだあたしの身体を暖めてくれていた。月明かりに揺れる波の輝きが綺麗。霧がかかってなければ、もっとはっきり見えるのに。そんなことを思いながら、海沿いを一人、歩く。先刻、港を出て行った船の灯が小さく見える。霧の中のそれは、まるで真綿にくるんだ宝石のようにも見えた。
あの船から、この港の灯はどんな風に見えているのだろう。時の向こうに置き忘れて来た懐かしい思い出のように、離れ難い輝きなのだろうか。
..... The harbor lights of venus shining through the breeze.....

Act.5 天国への階段


最後の扉を開けると、再び階段に出くわした。もとのところへ戻ったのかと思ったけれど、どうも様子が違う。最初に見た螺旋階段ではなく、一直線に伸びる階段。しかもそれ、自動的に動いている。所謂・・・エスカレーターって奴。もっとも、ここでの呼び名は違っているかもしれないけれど。
エスカレーターの上り口の側に、小さな建物があった。宝くじ売場や映画館の切符売場みたいな窓口のある建物。なんでまた、そんなものがここにあるんだろう。いったい何をやってるとこなんだろう?
話すの忘れていたけれど、その問題の窓口のところに女の子が一人いて、何やら中の人と口論していた。「エスカレーター使用料」だの「エスカレーター・チケット」だのっていう言葉が聞こえてくる。このエスカレーターって、誰でも使えないのかしら?だとしたら、あたしは使えるんだろうか?
とにかく、窓口まで行ってみよう。
「だから、お金ならいくらでもあるって言ってるでしょう?私は予約だけでもしておきたいんです」
「このチケットはお金では買えないんですよ。いくらお金を積まれてもお渡しできませんし、ましてや予約だなんて、とんでもない!」
「チケット代だけじゃなく、予約料もお支払いします。何でしたら、お骨折りに対してお礼も差し上げますわ。ですから、お願いします」
「何度説明したら判って頂けるんですかね?ここでは、お金は何の役にも立たないんですよ。今、あなたがバッグの中に持ってらっしゃるお札は、ここではただの紙きれですし、硬貨はただのまるい金属なんです。ここでは通用しません」
どちらも語気が荒い。口論を始めて相当時間が経っているのだろう。
女の子――と言うのは失礼だろうから、女の人――は二十歳を少し越えたくらいに見える。長いストレートの髪を左手で、やたらとかきあげてはしゃべり続けていた。
仕立ては良さそうだけど、かなり派手めのショッキング・ピンクのツー・ピース。肩から提げているのは黒い型押しのショルダー・バッグ。両手の指にはいくつも指輪が光っているし、耳には金色の大きなティア・ドロップ型のイアリングが揺れている。まさか、あれ、18金じゃないわよね?・・・左手首には黒い革ベルトの時計、右手首には当然のごとく、金色のブレスレット。ちょっと待って、左足首に金色のアンクレットつけてる。それから、それから・・・。服の色と同じショッキング・ピンクのマニキュアとハイヒール!あのヒール、7センチくらいはあるな。まさに、「マテリアル・ガール」、という感じ。そして極めつけ、右手には札束・・・。いったい、あれ、いくらぐらいあるんだろうか。厚み、ゆうに2センチはあるみたい。厚み2センチの札束なんて、初めてお目にかかるわ!
ぼーっと「マテリアル・ガール」を眺めていたあたしに、窓口の人が気付いてくれた。そして、にっこりあたしに微笑むとこう言ったのだ。
「お嬢さん、あなたにはまだ早過ぎますよ」
えっ。何が?あたし、この場の状況すら判ってないんですけど。
窓口のお兄さん、いや、お姉さんかな。でも、あの声のトーンからすると、若い男の人って感じがするんだけど、どっちだか判らない。とにかく、その人、宗教画に描かれてる天使みたいな巻毛で、真っ白い衣装を着ている。天使の輪と天使の翼がないのがおかしいってくらいに、天使に近い風貌してるの。中性的で、美形。
「えっと、あの・・・」
何て言ったらいいんだろう?「ここは、何処ですか?」なんて、とても訊けそうにないし。
「お嬢さんがこのエスカレーターを使うのは、まだまだ先のことですよ。ですから、お帰りなさい。時が満ちたら、またお会いできるでしょう」
そう言って、再び微笑む窓口の係員。邪魔な奴、とでも言いた気なマテリアル・ガールの視線に、ちょっとだけ首をすくめてみせる。
「ええ。でも、あたし、帰り道が判らないんです。どうしてここへ来たのかもよく判ってないし」
あ、鼻で笑ったマテリアル・ガール。でも、窓口の天使さんは、陽射しのような微笑みをくれる。
「もう一度、あの扉を開けてごらんなさい」
「あの、今あたしが入って来た扉ですか?」
少しだけ、疑ってるような口調で聞き返す。
「そうです、あの扉。今度こそ、あなたが帰るべき場所へ連れて行ってくれる筈ですよ」
自信持って答えてくれた天使さん。
「でも、あの・・・」
いまひとつ、ふんぎりのつかないあたし。
天使さん、そんなあたしにとびっきりの微笑みをくれた。マテリアル・ガール、「やれやれ」って感じの視線を投げた。
「それじゃ、お嬢さんのために、特別サーヴィスしましょう」
そう言って、天使さんはパチンと指をならした。
次の瞬間。
扉のきしむ音に、あたしは振り返った。
扉が開いていく。ゆっくり、ゆっくり、まるでスローモーションのように。やがて、扉の向こうに、マーブル模様の景色が見えてきた。
そうしたら、なんと。
髪が。身体が。引き寄せられてく、扉の方へ。まるで、扉の向こうに磁石でもあるみたいに、強い力。
「やだっ、何、これ!」
海で溺れた時みたいに、必死でもがく。手が、空(くう)を掴む。けれど、どんなにもがいても、天使さんやマテリアル・ガールからは、どんどん遠ざかって行ってしまう。
どうして、あたしだけ、引っ張られるの!?
不安と恐怖で、きっとすごい形相をしているであろうあたしを見ても、天使さんの笑顔は変わらない。穏やかで、優しい。助けてよ、天使さん。これが、あなたの言う「特別サーヴィス」なの?
片足が扉の敷居にぶつかった。そのショックで、あたしはうしろへひっくり返ってしまった。身体は扉の外へ。当然、頭をぶつけると思ってたのに、なんの衝撃もない。わわっ、ひょっとして、落っこちてるの!?
マーブルも様の景色が、すごいスピードで下から上へと流れて行く。だのに、あたしは羽根布団にくるまってるみたいに、ふわふわと浮いてる。ううん、そんな気がするだけかも。実際は、とんでもない速さで落ちてるんだろうから。
あたしが落っこち始めると同時に、天使さんとマテリアル・ガールは口論を再開したようだ。勝敗(!?)の行方は気になるけれど、今はとてもそんな余裕はない。「時が満ちれば、また会える」って天使さんは言ってたっけ。結果はその時、聞けるよね・・・。
はたして、彼女はエスカレーター・チケットを手に入れることができたのかしら・・・?
人の声が、遠く近く、聞こえる。何だろう。あたし、何処へ行くんだろう。
ギターの音が、微かに聴こえてきた。これ、知ってる。すごく有名な曲よ。そう・・・。
..... And she's buing a stairway to heaven.....

エピローグ


目の前に、壁。
ああ、壁っていうのは正しくないな。正確には、「天井」。
あたしは、硬い病院ベッドの上で、真っ白な天井を見つめている。
脳細胞、ストライキを解除してないみたい。まだ、ぼうっとしている。
丈夫な身体だけが自慢だったあたしが、どうしてこんな憂き目を見ているのかと言うと。自分でもよく覚えてないから断言できないけど、交通事故の巻き添えをくらった結果なのだそうだ。
母の話によると、あたしはつい先刻、昏睡状態から覚めたのだそう。バス停でバスを待っていた時に事故に巻き込まれ、この病院に担ぎ込まれたということらしい。そう言えば、バス待ちの列に、バイクがものすごい勢いで突っ込んできたんだった。うん、なんとなく覚えてる。でも、覚えてるのはそこまで。あ、救急車にも乗ったんだよね、あたし。意識不明だったのが、残念。全然、記憶ないもん。
――なぁんて、助かったから言える台詞だよね。
少々強く、頭を打ってるらしいけど、他には大した怪我もないそうだ。まぁ、とりあえず、命に別状はないってことで、ひと安心。
安心したら思い出した。ロン、どうしてるかな。あの子、散歩させないとすぐ欲求不満になっちゃうんだ。多分、誰も連れ出してないだろうから・・・。お母さんに言って、すぐ散歩させてもらおう。(「ロン」っていうのはあたしが飼ってる犬のこと。あたしの憧れの地、「ロンドン」にちなんで命名したの)
あれ、そうか。会社も休んじゃったのよね。まぁ、事故に遭っても出社するほど、仕事好きな訳じゃないし。ただ、月末の修羅場に、真理子ひとりだったっていうのは、ちょっと可哀相だったかも。ごめんね、真理子。不可抗力だったのよ。退院したら、埋め合わせするね。真理子の好きなカラオケでも、何でも付き合ってあげるから。
視線を天井からはずす。病室の扉をちらっと見て、それから瞳(め)を閉じる。
それにしても――長い、長い夢を見てたような気がする。川を下り、風に吹かれ、月と語らい、港の灯を眺め・・・。
そして、天国への階段。いや、少し違ってたな。あれは「天国へのエスカレーター」。天国にもハイテクの波が押し寄せてきてるのね、なぁんて。でも、エスカレーターなんて、もはやハイテクとは呼べないんだろうな・・・。
深く息を吸い込み、思いきり吐いてみる。そして、そのあとに訪れる軽いめまい。頭はまだスッキリしないけど、気持ちは落ち着いてる。ふっきれた、かな。
実を言うと、こんなあたしでも、思うところがあったのだ。
事故に遭うまでは、本当に、悩んで悩んで悩みまくっていた。夢と現実の狭間で。
――翻訳家になりたい。
――でも、難しい。
――仕事しながら勉強なんて、できるのかな。学生の頃、部活と勉強、両立できなかったこのあたしに。
頭の中で未来を勝手に予測して、自分の可能性を狭めてた。それが、事故に遭う前のあたし。
自分の運命の扉を開けるのは、自分自身。扉の向こうに何があるのかを知りたければ、この手で開けてみるしかない。
あたしは、夢の中でいくつもの扉を開け、そうしてここへ帰って来た。
天使さんは言った。
――「お嬢さんがこのエスカレーターを使うのは、まだまだ先のことですよ」と。
そして、天使さんの瞳はこう語っていた。
――「あなたには、やるべきことも、やりたいことも、残っているんでしょう」と。
だったら、自分の人生、思うように歩かなきゃ。
自分を信じて。未来を信じて。可能性を信じて。
ここへきて、ようやく見つけた。
出口。
迷宮からの出口。
きっとあたしは、また別の扉を開ける。
いつか、天使さんと再会する日のために。
あたしは扉を開ける。
――「ここへ来るまでに、たくさん、たくさん、扉を開けて来ました」って、胸を張って報告できるように。

<Fin>



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